生きるということ

思考

「なぜ生きなければならなのか?なぜ生きるという苦行を死を迎えるまでしなくてはいけないのか?」
私は若いころからそんなことばかり考えていました。
当然結論が出るわけでもなく、上昇志向もないまま日々の仕事と酒で紛らわしていました。
子供が生まれてからも人生ってあっという間に暮れていくんだな、こんなに金がいるんだな、その程度の考えしか浮かびませんでした。

でも漸く朧気ながらも生きるとはこういうことなんだと納得感を持って日々過ごすことができるようになってきました。
今の考えは以下につきます。
1.老後のお金のために働くわけではない。
2.今現在生きていること、生かされていることを味わう。

1についてはライフプランの見直しから投資を始めるにいたって
「仮に老後のお金の心配がなくなったらどうなるんだろう?」と思ったのがきっかけでした。
年をとって金の心配がなくなった、でも若い時みたいに気力・体力がない。
結局金だけが残った、そんな人生悲しすぎるし、金の奴隷として生きているにすぎないです。

そこで2です。
今をお金のことだけで埋め尽くすのではなく、目の前で起こっていることに集中する、それが大事なのではないでしょうか。
仕事をすること、家事をすること、趣味に時間をかけること、家族や人に向き合うこと、それぞれが人生を彩る事象なのですから。
例えば、私の家庭は専業主婦家庭で、働きに出ている間、私は家事をそこまでできてはいません。
ゴミ出しをすること、洗い物をすること、週末に草むしりや掃除をすること、週末たまに夕食を作ること、その程度です。
でも、これらの家事に集中して取り組むことに最近充実感があります。
目の前のその家事に集中すること、それ自体が気分転換になっているということもあるのでしょう。
自分の手の届く範囲のことをきちんと着実に行う、それが積み重なり人生を形作っている、そんな実感があります。

最近は共働きの家庭も増えている中、「家事は面倒なもの、兎に角省力化すべきもの」という風潮があります。
それは一面として確かにその通りだと思います。
他にやりたいことがあるのだから、そっちをするために家事なんかさっさと片づけたい、その気持ちもわかります。
でも一呼吸置いて、まずは目の前のその家事に集中してみませんか。

それでもいやだー、という方はルーティーンを作って
その流れで家事もしてみるのはどうでしょうか?
私は毎朝コーヒーをドリップするのです(これも充実感、リラックス感を感じます)が、これに合わせて洗い物をするようにしています。
ルーティーンに合わせることで自然に体が動く、やらないと何か気持ち悪い、物足りない、そう感じればしめたものです。

今の世の中は変化が激しく、人々はその荒波に翻弄され、ストレスに苛まれています。
それに加え、次から次へとTVやスマホで刺激が飛び込んできて一つ所に集中できない、そんな過酷な中で現代人は生きているんです。
だからこそ、そんな日々の中に動かない、心を散らさず集中する時間がすべての人に必要なのだと思います。
その一歩として目の前の雑事にも集中すること、そこから始めてみませんか。

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